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駒澤球場は  04年11月

駒澤球場とは・・・


1953(昭和28)年に開業した駒澤球場。東京都世田谷区駒沢。後の日本ハムファイターズとなる「東映フライヤーズ」が54(昭和29)年から61(昭和36)年まで本拠地にしていた球場。53年までフライヤーズ(当時は東急フライヤーズ)の本拠地は後楽園球場であったが、いくつかの球団がホームグランドにしていたことから、東急沿線に自前の球場を作ったといわれる。

当時、その豪快な野球から、「駒沢の暴れん坊」という名前もつけられたフライヤーズ。万年下位争いをしていたフライヤーズであったが、駒沢球場を本拠にした晩年には上位争いをするまでとなった。62(昭和37)年から本拠地を明治神宮野球場(現ヤクルトスワローズ)に移すと、土橋正幸や尾崎行雄といった投手陣の活躍もあり、移転初年度に初優勝。その勢いでシリーズでも阪神タイガーズを破り球団史上唯一の日本一に輝く。つまり2004年まで日本一になったのはそれ以来無いわけだから、44年間一度も日本一になっていないこととなる。我ながら良くファンを続けているものである(苦笑)

ちなみに、他サイト様の情報によると駒沢から神宮の移転理由は、64(昭和39)年に開催された東京オリンピックの整備計画に駒沢球場が入っていたからだそうで、オリンピックの為にはなんでも最優先される風潮から、人気が無く観衆も少ないフライヤーズの試合が行われていた「駒沢球場」を取り壊すことに反対する雰囲気すらなかったらしい。熱心なファンはいたと思うんだけど・・・。


「今」

オールドファンにはフライヤーズと言えば、「駒沢の暴れん坊」というキャッチフレーズがすぐにリンクするらしい。本拠地が神宮球場時代に日本一になったとはいえ、その2年後には国鉄スワローズ(現ヤクルトスワローズ)に神宮を明け渡すこととなった経緯もあることから、フライヤーズ=駒沢イメージが強い人が多いであろう。

04年11月に駒沢方面に行く仕事があったため、少しの時間ではあったが、駒沢公園を訪れてみた。現在は「駒沢オリンピック公園」となっており、公園内に公式野球場(通称駒沢球場)があるのだが、これは当時駒澤球場とは別物で、当時の球場はオリンピック公園のど真ん中にあった(らしい?)

ファイターズの起源と言えば「後楽園球場」なのだろうが、フライヤーズの起源と言えばここ「駒澤球場」となるのではないだろうか。(実際は52-53年の本拠地が後楽園なのであるが)このページのコンセプトがファイターズ戦士が戦った昭和の球場というものではあるが、だんだん紹介する球場も減ってきたので、フライヤーズにまで踏み込んでみました。

駒澤球場が1961年までフライヤーズの本拠地であったことを考えると、当時10歳の子供が今や54歳になっている。さて当時からファンのままで、その年齢の方がこのホームページをご覧頂いているのか?というと、かなり可能性が低いわけで、このページを提供することで少なくない人に「懐かしさ」をお伝えできるとは思っておらず、北海道移転2年目を迎えるファイターズの歴史の一端に触れるページとなればという程度で作成しました。

当然ですが、駒澤球場がフランチャイズだった時代は私も生まれる大昔の話ですので、強い思い入れを込めてご紹介する自信はありませんが、フライヤーズにゆかりの深い駒澤球場の今を追ってみることとしました。

渋谷からバスに。 約20−30分程度で到着。駒沢公園東口
オリンピックも40年も前の話。 オリンピック公園。都立なんですね。
公園に入る。 さすがにオリンピック公園。
色々な競技場があります。
案内図で言うと下の陸上競技場の上の中央公園のところが当時の球場のあったところだそうです。上のほうに球場がありますがこれは当時のものではありません。 さすがに老朽化はしていますが立派な建物です。
中には入られませんでした。 電光掲示板。当時のままのものなのでしょうか。
右の写真の撮影方向です。 ここに当時の駒澤球場があったそうです。
硬式野球場へ。。 実は朝8時前の公園です。さすがに人影は少なかったです。
公園内からは駒澤大学が見えます。
駒澤とファイターズはつながりも強く、
広瀬哲朗氏、白井一幸氏、古くは河野投手や大宮捕手。
現役で言えば稲田選手やダイエーに行った田口捕手の出身大学です。
11月上旬
木も茂っていて結構薄暗いところもあります。 下の写真の撮影方向です。。
駒澤野球場という名前だけ継承 朝も早かったため中にすら入られませんでした。
球場正面。 一塁側入場口
三塁側入口 遠くの照明塔がレフト方向になります
遠くにはスコアボードが そのアップ
三塁側スタンドです 下2枚の写真の撮影方向です
3塁内野スタンド裏から 3塁内野スタンド裏から
レフトから レフト後方の照明塔の脇に細い通路がありました。
そこから何枚か写真をとってみました
照明塔です。ナイターやっているのでしょうか・・・ 内野は土、外野は天然芝の基本的な球場でした。
バックネット裏にはしっかりとしたスタンドがあります。
その後方に駒澤大学。
1塁側ベンチと照明塔。内野にも少ないながら客席はあるようです。
照明塔を下から。草木をかきわけの撮影です。
仕事の合間なのでスーツです。怪しいったらありゃしない・・・
この球場、色々とイベントには使われているようです。

自分自身が駒澤球場でプロ野球を見た経験がないだけに、イマイチ薄っぺらいレポートとなってしまいました。あぁ昭和の球場は今のコーナーは、オールドファン向けのコンテンツ(管理人がやりたいコンテンツでもあるわけですが)なのですが、今回はなんとなく写真の羅列といった感じになってしまいました。フライヤーズがここでプロ野球をやっていたのが、今から40年以上前になるわけで、フライヤーズの痕跡らしきものがほとんど見つけられなかったのは残念です。
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