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川崎球場は  04年8月

川崎球場とは・・・

1951年に開場した川崎球場。実はこの球場での最初のプロ野球は52年の4月に行われた「東急(現北海道日本ハム)−大映」であった。そう考えるとファイターズにとっても、縁遠い球場でもない(ホントか・・・)。54年には高橋ユニオンズが川崎球場をホームグランドとした最初にプロ野球チームであった。その後、大洋ホエールズ、ロッテオリオンズと3球団が、ここ川崎球場をホームとして戦った。

王貞治の700号本塁打、張本の300本安打、更には、パリーグが最も輝いたと言われる、88年ロッテ対近鉄戦(10.19)など数々の名場面の舞台となった川崎球場。しかしながら、ロッテオリオンズが91年を最後に翌年から本拠地を千葉マリンスタジアムに移すこととなり、プロ野球の公式戦は92年7月の千葉ロッテ-近鉄が最後の興行となった。

川崎球場で挙行されたプロ野球公式戦はセ・リーグ1,394試合、パ・リーグ1,059試合 総計2,453試合が行われた。その後、老朽化による耐震性が問題となり、スタンドの取り壊しが決定。2000年3月に川崎球場ファイナルとして、川崎球場を本拠地にしてきた横浜ベイスターズ(旧大洋ホエールズ)−千葉ロッテマリーンズ(旧ロッテオリオンズ)のオープン戦が開催された。


10.19って何?という貴方へ。まずはこちらを読んでください。

<tottoさんのパシフィックナビ様の内のコンテンツより>


「今」

私自身、実は90年10月ロッテ−日本ハム戦を観戦したことがある。その観戦が最初で最後であったのだが、非常に選手とファンの近い球場だった印象がある。試合は確か先発が西崎で、ブリューワが1試合に2−3個のダブルプレーだかなんかで負けたような気がする。私がまだランドセルを背負っていた頃の話である(少しサバ読み(笑))

2000年にスタンドの取り壊しが始まった記事を新聞で読んで以来、貸しグラウンドとして運営されているとは聞いていたのだが、実際はどうなっているのかは知らなかった。04年の夏に行く機会を作り、14年ぶりに川崎球場を訪れてみた。

古き時代のパリーグを語る上で、必ず話に出てくる「川崎球場」。マリーンズ初芝の応援歌の替え歌?「ロッテの夢は観客動員100万人♪」が作られることとなったのも、川崎球場の不入りから来た「自虐的ロッテ愛」を歌ったパリーグ賛歌であろう。試合中、外野席ではカップルがイチャつき、キャッチボールがなされ、そして伝説となっている「流しそうめん」が行われた川崎球場。その川崎球場の今を追ってみました。

JR川崎駅。 川崎駅の地下へ続くエスカレータの注意書き。
有り得ない・・・。
駅から川崎球場まで徒歩15分程度ってところ。
福住から札幌Dよりは遠く感じました。
球場へ向かう途中に見つけた看板。
こういうのを見つけると嬉しくなります。
川崎球場着。右側の照明塔が1塁側。 パーキングの看板の辺りが確かチケット売り場だったような。。。
左端の照明塔はレフトスタンド後方に聳え立っていたものです。
お!と思った方、いらっしゃいますよね?(笑) 株式会社川崎球場。
今も貸しグランドとして経営が続いています。
芝生の山となっているところが三塁ベンチの裏。右端がバックネット。 今やスタンドはありません。
3塁ベンチ後方から見た1塁側照明塔。 ライトスタンド裏に立つハウスプラザ角倉。
屋上から球場内をタダで覗けました。
3塁内野芝生席から見たホームベース方向。
向こうに見えるは1塁ベンチ。
レフトスタンド後方の照明塔。
右には外野フェンスです。照明塔は球場外に建っていたので
いかにレフトスタンドが狭かったかというのがわかります。
レフトポールです。 実は写真を撮っている場所は駐車場となっています。
フェンスが邪魔で球場内が良く見えません。
ということで、高いところに登ってみました(苦笑) レフトフェンスの内側です。
昭和の球場の雰囲気でお腹一杯になります。
77年に阪神の佐野が川崎球場のフェンス激突で意識不明に
なってから、フェンスにラバーを張ることが義務付けられました
センターのフェンスです。
センターバックスクリーン裏の入口。
普段の公式戦は外野席への入場ゲートだったと思います。
道路整備の為に、ライトスタンドは削られました。その道路というのが上の道路です。球場のすぐ裏に住宅地が。
ハウスプラザ角倉 ライトポール際からホーム方向を望む。
ライトスタンドからレフトスタンド方向を望む。 1塁ベンチ横から3塁ベンチを望む。
1塁ベンチ上からレフトポール方向を望む。 1塁ベンチ上から左中間を望む。
フェンスは当時のそのまま。
3塁ベンチ付近 もう1つハウスプラザ角倉。
当時のライトの照明塔の真裏に
聳え立つ姿は今も昔も変わらない。
有藤が、荘が、落合が、高沢がいた1塁ベンチ。 バットケースの位置も当時そのまま。
テレビ東京の看板が印象的でした。
昭和56年のハムのプレーオフ、昭和63年の10.19に
ドラマを生んだ3塁ベンチ。
レフトポール際。
ピッチング練習場もありました。
安達が、佐藤純一(現パリーグ審判)が、中西太が抱き合った3塁ベンチ前。 川崎駅に何気に張ってあった市の職員募集ポスター。
オリオンズのユニフォームと被って見えるのは私だけではないはず。

※川崎球場 参考資料※
  1988年12月30日 ニュースステーション「年末特集 ロッテ対近鉄戦」 テレビ朝日様より


ニュースステーションの中で最も視聴率を
稼いだ瞬間でした。
奇跡の軍団バファローズ。 ニュースステーションが1年の最も注目された出来事を振り返る年末特集に取り上げられたロッテー近鉄戦。 世に言う10.19です。
現役最終試合だった前梨田監督。 無情にも4-4の同点でゲーム差無し
西武ライオンズ優勝。
3塁側スタンド。 公式戦でもこの写真と変らない位
観客がいませんでした。
10.19は満員だった川崎球場。 実はこの画像、
マドロックのHRの瞬間です。
レフトに比べ座席の少なかった
ライトスタンド。
ライトスタンドの中にあった照明塔。
ホームからバックスクリーンを望む。 青と赤のスタンド。
いかにも川崎球場でした。
10.19の第2試合が引き分けで終わり、
呆然とする3塁ベンチ。
真ん中には故鈴木貴久さん。
パリーグの1番長い1日と言われる10.19。
パの名場面にはいつも近鉄が絡んでいました。


川崎球場、古き良きパリーグを代表する球場でした。
まさしくそれは、「テレビで見れない川崎劇場」そのものでした。



※テレビ画像について
このページはロッテオリオンズが使用していた川崎球場の当時の模様をよりリアルに皆様にお伝えし、プロ野球史の1つとして後世にも受け継いでほしいという願いを込めてテレビ朝日様制作番組のビデオをキャプチャソフトを使うのではなく、テレビ画面をデジカメで撮影したものです。著作権法第32条(引用)、第48条(出所の明示)などの規定に極力沿った形でアップさせたつもりです。二次無断転載を避ける目的で、著作権者(テレビ朝日様)の表記をさせて頂いておりますが、この公開によって不都合、不利益が生じる場合は管理人宛にご連絡をお願いします。確認の上で公開の停止を行います



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